こんにちは。中瀬一菜です。
公務員の休職についてお話します。
1 これまでの平穏はどこに???
はっきりと区別して書いていませんでしたが、我々公務員的に、休暇と休職は異なる制度です。
わたしが休み始めの頃はまだ休暇でした。
このころは、手続きがほとんどなくて楽だった、と過去のブログに書いています。
本当にいいんですか?わたし休みますよ?と聞きたくなるくらい、
なにもすることがありませんでした。
しかし。休職となると、話は別です。
書かなければいけない書類がめちゃくちゃあります。さすがお役所仕事です。
なんでこんなに違うのかというと、かなーりややこしいのですが…
未だにきちんと理解していませんが…規則上そうなっているということです。
休暇から休職に切り替わるとき、わたしの平穏は崩れ去りました…
それまでは職場との接触がほぼゼロだったのですが、手続きの関係上、上司から電話がかかってきまして…もう最悪の状況に…
電話に出るだけで涙が出ました。
自分でも、どこに泣く必要があった???と疑問しかないのですが、とにかく当時はそれすらもストレスでした。
こうして、よくわからん制度に振り回され、わたしの平穏は終了しました。
2 突撃!死の四者面談!
一番最悪だったのは、医者と上司、所属側の臨床心理士との四者面談です。
「休職になるし、制度の事や復帰のことを医者に説明したい。それに、治療がどんな感じかも聞いておきたい」といわれると、拒否はできません…拒否できる選択肢もあったのか…いや、ない…
電話での申し出だったのですが、後日書面で同意書が送られてきました。こういう細かいところも書面…お役所、実に細かいです。渋々記載し、返送しました。
面談は病院で行われました。医者へのアポイントは所属側がしてくれました。
指定時間キッカリに病院に到着すると(早く着くつもりが…すでに嫌々です)、すでに医者との挨拶を済ませた上司と臨床心理士がいました。
笑顔でやってくる二人。ひきつる笑顔のわたし。
数か月わたしが手放していた作り笑顔と「お世話になります」を再び使った瞬間です。
そして、すぐに看護師さんに呼び出されます。まずは、わたしだけ先に医者と面談しました。
なにか言いたいことがあれば、先に医者に申し出るシステムになっていたようです。言いたいこともなにも…とりあえず今この瞬間が苦痛でたまらん…気づけばわたしは泣いていました…
医者「なぜ泣く~~~はいティッシュ~~~」
中瀬「ううう…心配なのは復帰後の仕事だけでず;;;」
医者「それは上司が考えることでしょ~~~も~~~」
今思えば、もはやコント…このときはストレスがマッハでした。
落ち着くと、医者から上司たちを呼ぶように言われ、ついに四者面談開始です。
中身は大したことはありませんでした。制度の話を淡々と、でした。わたしがいる必要はあるの???と思いました。
なんやかんや、ばたばたしましたが、面談自体はさらりとしたものでした。医者の立場は常にわたし寄りなのが、とりあえず心の支えでした。
なお、支払いは公費が出るらしく、わたしのお財布は一切痛むことなく帰宅しました。
3 恐怖!〇か月ぶりの庁舎!
これだけでは終わりません。臨床心理士との二者面談がありました。
わたしへの制度の説明や、お休みをどう過ごしているか、復帰をどうするか等、相談するために行うのですが、休職に切り替わったことを期に始まりました。
これは庁舎で行われるため、わたしが出向く必要があります。
休暇を始めてから、初めての登庁です。
職員が仕事をしている時間帯とはいえ、通路を歩けば忙しそうにしている職員に遭遇します。当然ですね。
実は、お休みしていることをあまり公にはしていないので、うっかり同期になんて会おうものなら大変ややこしいことになります。
そもそも人間嫌いの気があるため、人の多い庁舎は嫌いですし…とにかく、ここでもストレスがマッハなのです。
久し振りに通勤。回復したはずの体力も根こそぎ持っていかれます。軽快に歩けるようになったはずなのに、異様に足が重い。そして庁舎。下を向いて可能な限り速足で駆け抜けます。(相対的)
面談自体は、カウンセリングルームがあり、そこで二人きりで行われます。
書類の受け渡しや、制度の説明、日ごろどのように過ごしているのかをお話します。
引きこもっているので、運動をしろといわれます…
たまに、こうなったきっかけの話にも及びます。此処での会話は、さほどストレスではありません。さすがその手の専門家です。現在は月に1度、カウンセリングを行っています。
4 「苦痛に慣れろ」ということか???
引きこもって引きこもってしずかーに生活していた時は、それはそれは平穏でした。
自分に害なすものは一切なく、真綿で包まれて羊水の中に浸っているような、そんな作られた心穏やかな日々でしたから。
でも、こうしてやってきた苦痛たち。
久し振りにストレスがマッハになり、苦痛に泣いたり喚いたり、忙しかったです。
いまさらながらふと思うのは…これは試練なのではないか?ということ。
苦痛の後、同様の出来事(例えば電話だったり)があっても、動揺が明らかに小さくなっているのです。
ながーいお休みの中でじっくりと回復した体を社会に再び戻すためには、ショック療法的なやり方が必要なのではないかと思っています。
わたしの場合、明らかに過去のあれこれがトラウマになっているのは自分で理解しているので、これからも、こうした襲撃を食らい、その都度喚きながら、回数こなして慣れていくんだろうなと、ふんわり考えています。
社会に戻るって、大変。なーんでこんなことになるのかなぁ。
ちなみに、このあと女の子の日がズレにズレまくり、一週無くなったりして、多大なストレスがあったのだなと身をもって知ることになりましたとさ。
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書いた人 中瀬一菜(なかせ・ひいな)
うつ病が原因で退職した元公務員。未婚・アラサー・障害者。
うつ病があっても自立した生活を送るために日々奮闘中。
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